「笹さん、あのね、死にたくても死ねない。
生きたくても生きられない。
・・・そういうものですよ」
これは、ペリリュー島から生還したおじいちゃんに、
突撃の様子を尋ねたときに返ってきた言葉です。
『卑怯者の島』を読んでから感想を記す間もなく、
翌日早朝、私はそのモデルとなった島の戦闘の話を
聞く機会に恵まれました。
「死にたくても死ねない」
このセリフを聞いたとき、私の中では、
一瞬怯んでしまった者にはとても耐えがたい、
あの戦闘のシーンを思い出してしまいました。
主人公の神平だって、本当は国のために
死ぬのは本望だと思っていたはずです。
でも些細なきっかけで生まれた
ほんの少しの躊躇が、生死をわけてしまいました。
そして次に頭の中で描かれたのが、
広井一等兵の姿でした。
「生きたくて・・・負けてしまう」
かろうじて残る本能が、生への執着が、
負傷の痛みより彼を苦しめているのを
知ったとき、ブワーっと心が震えました。
死にたくても死ねない。
生きたくても生きられない。
話を聞いたおじいちゃんは、その言葉に
あらゆる思いを詰め込んでいるように見えました。
一つひとつの戦闘の詳細を言葉にはしません。
もしかしたら、誰に何を言っても
伝わらないと思っているのかもしれません。
あの戦場を見た者でなければ。
言外に漂うその空気に、私はそれ以上
突っ込んで聞くことができませんでした。
私は、人の生死だけでなく、
その生死さえもどうでもよくなってしまう、
平時の想像を超える不条理の連続、
理不尽の連続、それが戦場だと思っています。
普段どれだけ勇ましいことを言っていたって、
そんなものは平時の理性に過ぎません。
誰だってカッコつけることができます。
でもそれが剥ぎ取られたとき、自分は
果たして勇敢でいられるか?
それを考えると、私は自分自身の心でさえ
おぼつかない。
だから怖い。
「卑怯者の島」は、そんな自分の弱さを
次から次へと見せつけられているような
思いで、苦しくなりました。
私はいつの間にか、登場人物の側に立ち、
読みながら言い訳をしているのです。
「あの状況じゃしかたないよ」
「うん、人道支援です、これは」
「兄ちゃんの気持ち、わかるよ」
といった具合に。
自分に後ろめたさがあるから、
せっせと言い訳をしないと、先へ進めない。
登場人物の誰もが「自分」に当てはまって
しまうのです。
でも、苦しい思いで読み進めて、最後の最後、
私にとっては最高の読後感になりました。
神平の思いがやっと報われたと思ったからです。
ちゃんと死ぬ場所を見つけられたと感じたからです。
さらには、70年前が夢の世界ではないのだ、現実だったのだ、
その延長線上に私たちはいるのだ、と
読者の誰もが感じざるを得ない。
いわば、夢かうつつかと茫然としながら
読み進めていって、いきなり「これは現実だ」と
思い知らされる。
傍観者でいることを許さない厳しさがあります。
でも、本書はさらにまた合口を突きつけてくるのです。
このバスの中で卑怯者は誰だ? と。