さて連投です。
高森さんが、岩手で、いじめられて自殺した中2少年の生活ノートを親が読んでいたのではないかと書いており、
だとすれば、やはり親の責任が大きいのではないかと示唆しています。
実はこの事は、先日ゴー宣道場の打合せの席で、しばし論議になったのです。
小林さんは「それはない。あの子は父親に知られたくないから、生活ノートを隠していた。
いじめられた子どもは、親には隠す。親は子どもの身体に外傷がない限り、
気づくことが出来ない。だから教師の役割が重要なのだ」とおっしゃっていました。
このやりとりは、もともと高森さんが道場ブログにて、いじめ自殺が起こると
なんでも学校のせいになるが、親の責任こそ看過できないのではないかと
書いた事から始まっています。
高森さんは、学校の先生は、ノートで可視化できる形で返答するのではなく、
こういう場合、ノートには当たり障りのない事を
書いておいた上で、水面下で事実を調べるなどことにあたるはずだと
言うのです。
しかしこの教師が、そういった手を本当に打っていたのかどうか、
疑問です。
僕が先日高森さんと議論になったのは、教師がいじめについて踏み込んで
指導できないのは、親のクレームが怖いからであるという高森さんの
「親責任論」に対して、僕は、たとえそうだとしても、それで萎縮してしまう
教師の責任は大きいと反論したものです。
親は学校での生活にどのみち直接関与できないのですから、教師には現場責任が求められるはずです。