安保法制「合憲」論者でも、“憲法学者”でもなかった八木秀次氏。
以前、社会人教育の場で、彼の文章を教材として活用させて貰った。
論理的思考力をちゃんと身に付けないと、
人前でどんなにみっともない発言をしてしまうか、
その格好のサンプルとして。
『正論』2月号に掲載された文章だ。
そこには、こんな文章が。
「(安倍)首相が言う脱却すべき『戦後レジーム』とは…
『ポツダム体制』を指している。
…『ポツダム体制』は東西冷戦の発生とともに崩壊した。
…安倍首相が…憲法改正を主張するのは、
『ポツダム体制』から脱却して、自由主義陣営の一員として、
米国の同盟国としての日本であることを憲法で確認したいからだ」
何だ、そんなことの為の憲法改正なのか、なんて突っ込みは、
今は横におく。
それより、もっと純粋に論理的な問題。
この文章を書いた人物は、
ポツダム体制を“今も存在する”と考えているのか、どうか
(教材用資料では、先入観を排除する為に執筆者の名前は伏せた)。
本人が「東西冷戦の発生とともに崩壊した」と明言している。
だから、それが客観的に正しいか否かはともかく、
既にポツダム体制は“存在しない”と考えているはず。
ところが安倍首相は、
既に「崩壊し」て存在しないはずのポツダム体制から
「脱却すべき」と考え、「脱却し」ようと取り組んでいる、と。
すると、安倍首相は“独り相撲”を取る愚か者ーという結論になる。
だが文章を見ると、安倍首相の取り組みを支持しているようだ。
ここまで来ると受講生は、はっきり気付く。
この文章の執筆者こそ、ポツダム体制の存続について、
論理的にきちんと整理出来ないまま文章を書いた“愚か者”だと
(担当の編集者は文章を読んでいないのか?)。
その八木氏が、またポツダム体制について論じている
(『正論』8月号)。
「戦後の国際秩序は当然、連合国が中心となって築かれた。
これを『ポツダム体制』と呼んでいる」
つまりポツダム体制とは、
戦後の旧連合国を中心とした“国際秩序”と概念規定。
そして「『ポツダム体制』は東西冷戦の発生とともに壊れ始め、
朝鮮戦争の勃発で崩壊が決定的となった」と、
前回とほぼ同様の認識を示す。だが一方で、
不思議な言葉遣いをしている。
「国際秩序としての『ポツダム体制』が崩壊した」
「『ポツダム体制』は国際秩序としては崩壊し」と。
ポツダム体制とはあるタイプの「国際秩序」ーと
定義しながら、そのポツダム体制が「国際秩序として」は「崩壊」
したって?
じゃあ、何か国際秩序とは“別の形としては”生き延びたとでも?
何だかオカルトっぽい。
例えば、第1次大戦後のヴェルサイユ体制が“国際秩序としては
崩壊しながら、それとは別に存続したなんて話は、聞いたことがない。
というより、そもそも彼自身が、
特定の国際秩序をポツダム体制と呼んだのだから、
その国際秩序が崩壊すれば当然、全て終わり。
当たり前だ。
でも、ポツダム体制からの「脱却」を“将来的な”課題として
設定している以上、何としてもポツダム体制の“延命”を図らないと、
辻褄が合わない。
だから、遂にこんなセリフを口走る。
「思想における…『ポツダム体制』と『サンフランシスコ体制』の
戦いはまだ終わっていない」と。
いつの間にか、“思想としての”ポツダム体制は存続!
なんて融通無碍な話に、掏り替わっている。
恐らく、先の自家撞着を誰かに教えて貰ったんだろう。
でも結局、論理的な破綻を深めただけ。
気の毒に。
まぁ、口から出任せを言ったんだから、自業自得か。
なお、彼が言う「ポツダム体制とサンフランシスコ体制の戦い」
というのは、連合国の「敗戦国」たる地位に留まるか、
いつまでもアメリカの「属国」の地位に甘んじるか、
という選択肢に過ぎない。
だが戦後レジームの「正体」は、
ポツダム体制+サンフランシスコ体制
(そこでのわが国は敗戦国で、しかも属国)。
ポツダム体制は勿論、今も崩壊していない。
それは、国連の安保理常任理事国の構成と憲章の「敵国」条項、
更にそれと対応する日本国憲法の存在(特に前文と第9条)を見れば、
明らか(それらを支える体制イデオロギーである
東京裁判史観=連合国史観も健在)。
念のため。