5月15日、盛岡へ。
翌日の「大東亜戦争終結70年英霊顕彰事業 東北地区講演会」
(主催、東北6県神社庁。共催、神社本庁ほか)
盛岡駅で岩手県神社庁のO氏が出迎えて下さる。
O氏とは、これまで何度かお会いしている。
いつも穏やかで配慮の行き届いた方。
駅と繋がっているホテルの中華レストランで、
学生時代からの知友、坂本櫻山神社宮司が、副庁長として同席。
楽しく懇談した。
同ホテル泊。
翌日はまず神社庁へ。
全国の神社を統轄する神社本庁の田中総長(石清水八幡宮宮司)
昼食。
かねて存じ上げている福島県神社庁の丹治庁長にご挨拶。
その後、
「
戦後70年にあたり、
出来ないーと締め括った。
参加者は400名ほど。
総じて参加者の年齢は高めか。
岩手県は既に何度かお邪魔している。
特に印象に残っているのは東日本大震災があった平成23年。
その3月26日に講演が予定されていた。
ところが同県も大震災に襲われる。
この時、
電話を頂いたのが、
「これは決して中止ではなく、
繰り返された静かな声が、
そして翌年3月、
その約束は実現。
以来、
17日、
午後1時から5時半位まで。
着物の着付けの実演披露やパネルディスカッションなど。
全て若者自身の演出、出演で盛りだくさんな内容。
その最後に他の識者らと共にコメントをすることに。
正直に言えば長時間、拘束されるので、やや気が重かった。
だが、若者たちを大切にしたいので引き受けた。
行ってビックリ。
20代を中心に若者ばかり、
中身も面白く、
全体としてレベルが高い。
出し物のトリを務めた奥野義一君のスピーチは聴かせる。
20代だと、大勢の前で話す時は、
だが彼は、淡々と語って、
立て板に水の流暢な喋りでない分、
コメントしたのはペマ・ギャルポ、
その後、近くの居酒屋で、
こっちの時間の方が長かったのでは。
21日。
午後1時から浜松町でチャネルくららの番組収録。
倉山氏としたたか飲んだ勢いで急に決まった
(
「典憲体制を語る」
倉山氏は憲政史の専門家。
その専門家を相手に、私がこんなテーマで話すなんて、
それは分かっていても、
「典憲体制」の意義どころか、
それはおかしい、という憂慮で意気投合。
その結果、この企画となった。
チャネルくらら自体のコンセプトも知らず、
(
皇室典範と憲法を最高法規とする、
最後に触れた、
(明治の典範に規定された改正・
今の憲法に規定された制定・
その後、新宿に移動。
ホテルのラウンジにて、
それが終わると、近くのうどん屋に。
ゴー宣道場門弟のH君が佐賀に帰るので、ささやかな送別会。
彼は仕事が終わった後、私の夜間の授業に1年半位通っていた。
同じく門弟で受講経験がある数名と。
佐賀では苦労もあるだろう。
だが彼は、それを乗り越えて、自分で納得できる人生を、
22日。
夕方、
数年前、
スタートした奉仕
毎回、私が講師に招かれ、事前勉強会を行っている。
年に2回(!)のペースで13回目。
団長が40歳そこそこで、
救命救急の看護師で、
2回目の参加という女性も。
本当に頭が下がる。
打ち上げでは、
私にとって貴重な時間だ。