「憎悪」する快感について考えている。
わしは一度もアイヌ系の人々を「憎悪」したことはないし、
「憎悪表現」を使ったこともない。
わしも時浦も、徹底的にクールな論理だけを表現している。
だが、香山リカのシンパは、わしに「憎悪」をたぎらせている。
「憎悪表現」を吐き散らしてくる。
香山リカとそのシンパにとって、諸悪の根源は小林よしのり
となっているらしいが、本当にそうなのか検証する気はない。
「憎悪」すべき対象を見つけてしまったからには、論理は
要らないのだ。
小林よしのりが滅ぶまで「憎悪」の罵詈雑言を浴びせるだけだ、
彼らはそう考えている。
在特会やネトウヨもそう考えていて、わしに「憎悪表現」を
浴びせてくる。
香山リカとそのシンパも、もはや在特会よりも憎むべき相手は、
小林よしのりになってしまっている。
だから、小林よしのりに対しては「憎悪表現」が許されると、
香山リカは宣言し、それを扇動した。
なぜ彼らは「憎悪表現」を肯定するのか?
「憎悪」が快感だからである!
「反ヘイト」と自称しつつ、自分たちも「ヘイト」を楽しむのは、
「憎悪」の魔力に嵌ってしまうからである。
「憎悪」が脳内で快感物質を発生させ、それがストレス発散に
なるし、生きがいになる。
この脳内作用は、「憎悪」の応酬を止められないアラブ諸国の
人々も同様である。
ヨルダンVSイスラム国、エジプトVSイスラム国、「憎悪」を
拡散させて無秩序を作り出すこと自体が、イスラム国の狙いなの
だろう。
「憎悪」の正体について、深く思想することが必要である。